メモ感覚で書いた文章のため、体裁や論理の飛躍、不正確な情報等が多々あるかもしれない点申し訳ない。
何か思うことや共感、反論等あればぜひ一緒に話しましょう。
僕が目指す社会
誰もが生きる「おもしろさ」を感じることができる社会
なぜエンタメなのか?
「Meaning Of Life」という言葉が流行して久しいが、これからの社会こそ、なぜ生きているのか? 何のために生きているのか? といった、「人生の意味」が最重要になると思う。意味こそが人生のOSとなる。その「意味」を生み出し、人々にインストール可能なものがエンタメとテクノロジーだと考える。歴史を見れば、それは宗教や労働がその役割を果たしてきたかもしれない。宗教は民衆を束ねるルールであり、価値観であった。現代においては高度に発展した法律が人々を束ね、高度な外部知能やフィジカル面での科学技術が知的/肉体労働を代替し始めている。そんな時代において、ある種、エンタメこそが人々に生きる意味を与えるのではないだろうか、と私は考える。
前提となる、「生きる」ということをざっくり整理してみる。 私たちは生きている。最後は死である。つまり、産まれてから死ぬまでの時間が人生であり、生きるということは、現時点から未来を生きようとすることだと言える。生きることに対してポジティブに感じることを、「おもしろさ」と定義する。生きていてよかった、人生って素晴らしい、明日も生きていたい。そんな感情が、生きるために必要だと考える。
「おもしろい」は、「楽しい」とは異なると解釈している。楽しいという感情は瞬間的なものなので、すぐ死ぬものである。「おもしろい」という感覚は、時間をかけて生み出されるものだと認識している。伏線が貼られていたり、苦しさや悲しさなどのネガティブを経たり、思いもよらないイベントが鍵となったり、その瞬間では感じることのできない、一つの物語を通してでしか感じることができないものが「おもしろさ」だと考える。言い換えれば、「楽しい」はイベントの一部で、「おもしろい」はイベント同士がつながって出来上がるストーリーから感じるものといった感じだろうか。
よく反論されるのが、その人が限られた世界の中で幸せなら、楽しいだけで良いじゃないか? ということを言われる。例えば、特に大きな志を持っていなくても、目の前の仕事をこなすことに満足しているであったり、自分の人生は二の次で夜職やアイドルに尽くし依存しているなど。一理あるなと思いつつ、個人的には納得することができない。僕は、「それでいい」ではなく、あらゆる可能性を考慮した上で、自分を主人公として人生の幸福を最大化すべきだと考えているからだ。
それは辛いとか、できない人がいるとか、それができる人は恵まれているとか反論する人もいるだろう。だからこそ私はイノベーションを起こしたい。誰もが自分の人生に主導権を持って、主人公として謳歌できる。そんな仕組みを生み出したいのだ。
僕の考えからすると、年齢層高めの死んだ目をしている大人たちが僕たち若手に説く、「AI時代に必要なスキルは何か」や「AIに置き換えられない仕事は何か」みたいな話は全てずれていて、無意味であると考える。もっと根本的に、私たちはなぜ生きているのか? 生きることに対するモチベーションは何か? 何に喜びを感じるのか? どんな未来を生きたいのか? そもそも未来において、この仕事はしなければならないのか? といった、より根本的な問いから考える必要があるはずだし、僕はそれを聞きたい。スキルや資格などといった小手先の表面的な力の証明は、社会の前提や常識が崩れてしまえば無意味になるだろう。死んだ目と冷めた思考が全てを語っている。黙っていて欲しいまである。
何を実現したいのか
誰もが、生きる「おもしろさ」を感じながら、「人生の主人公は自分自身である」と認識して生きていける世界を実現したい。
ポジティブな感情を持ちながら、ゴールが明確で困難な問題に立ち向かい、社会に良い影響を及ぼしているという実感を持ち、社会とのつながりを感じることができる、ゲームや音楽(音楽を通した創作活動やファンダム)のようなエンタメ的な仕組みを基盤に用いることで、達成できると考えている。
一方で現状のエンタメ、とりわけアイドルやゲームの問題点として、依存が挙げられる。それは望ましくない。人生の主人公は自分自身であるべきだ。
認知フレーミングとして、アイドルというものをある種のリーダーや象徴として捉え、自分の人生を良い方向へひっぱてくれる存在として定義することが大切だと考える。つまり、ステージ上の存在を媒介にして、観客側の人生を輝かせる存在。人生の意味を可視化する存在。 ステージ上で歌ったり踊ったりするだけでなく、誰もが主人公になり得るということを象徴するため、自分の人生の目標を設定し、それに向けて一緒に歩めるシステムや、世界中の参加者とユニットとして演出するなどのシステムがおもしろそうだなと妄想している。
人生のゲーム的構造化とも言えるだろうか。エンタメの中でも私は、「アイドル」/「音楽・文化」/「ゲーム」に注目している。
僕は何者なのか
僕は中学生の時から、映像やアプリ/ゲームを通して体験を設計し、誰かに感動を与えることに生き甲斐を感じてきた。中学生の頃に好きだったアーティストのライブに行った際、彼女らのパフォーマンスを通して、この会場にいる大勢の人が生きるエネルギーを生み出していることに衝撃を受けた。また、高校時代からハマっているKPOPカルチャーにおけるクリエイティブクオリティの高さやブランド/ストーリーデザインの巧妙さ、ファンダムの熱狂に大きな可能性を感じ、僕も自分の大好きなテクノロジーとエンタメを道具として操り、世界中の人に生きる希望を与えたいと思うようになった。
高校1年生の夏、「世界一のクリエイターになる」と大志を掲げて2ヶ月間アメリカ西海岸・シリコンバレーへ留学した。たった2ヶ月間だったが、世界の広さを知ったとともに、勇気を持って、恥を忍んで行動することで、不可能など存在しないのだと学んだ。また、現地で出会った仲間との出会いから、巡り合わせの力が可能性を切り開くことを身をもって経験した。
大学受験は、第三者から見たら成功であったとは言い難いが、個人的には良い選択だったと思っている。僕の中では総合型選抜入試しか視野になく、志望校に落ちた時には絶望した。今思えばそもそも受かるはずがないレベルの志望校へ挑戦していたのだが、当時の僕はなぜか本気だった。ただ、今だからこそ言えるのだが、やらずに後悔するよりもやって後悔した方が遥かに人生が豊かであり、納得感があるなと実感した。そんなこんなで、高校3年生の9月から受験勉強を始め、結局、志望校リストには入れていなかったが先生にお勧めされた大学の経済学部に入学した。その大学はとても楽しく、素敵な先生方と巡り会えた。それこそ巡り合わせで、何事も経験になる。僕は、人生というのは点(イベント)の集まりで、点が多ければ多いほどそれらを繋いだ時に出来上がる物語に深みが出て、充実すると考えている。無駄なものなんて何もない。全てが人生の意味を構成する点になる。
大学受験の時に、自分は何がやりたいのか?、どんな社会を目指したいのか?、僕の人生における使命って何だ? 人間って何のために生きているのか?など、答えのない問いに向き合った。未熟な考えに懲りずに向き合ってくれた高校の先生方や親、課外活動で関わってくれた仲間たちには頭が上がらない。私は、人間は「おもしろさ」を感じるために生きているのではないか? と仮の結論を出した。「おもしろ」とは、目の前が明るくなる感覚。つまり、人生って素晴らしい!、明日も生きたい! というポジティブな感覚を得ること自体が人生の目的なのではないか?と仮説を立てた。命に対してモチベーションを持つこと。人間の基本的な欲求は生存であり、幸福で意味のある人生を送ることである。その「意味」を作るものが、「おもしろ」だと解釈している。
その頃から僕の人生の軸は、「誰もが生きる『おもしろさ』を感じる社会」をつくることになった。
大学時代は、たくさんのことを経験した。働きたかった場所でアルバイトしたり、居酒屋で飲食バイトを経験したり、ご縁があって高校時代から憧れだった組織でインターンさせてもらったり、想像もしないほど充実していた。高校時代に留学した場所へ当時留学先で出会った友達と一緒に旅行し、現地の大学に通うトビタテ生に案内してもらったり、当時現地で知り合ったGoogleの社員の方とも再開した。
留学で形成されたトビタテコミュニティや文科省にある事務局のお手伝いなどもさせてもらい、非常に多様な背景や考えを持つ人と出会った。
人生って、やはり伏線の塊なのだ。一度起きたイベントは事実として消えることはなく、全てのイベントが相互に影響しながら、次のイベントに繋がっていく。実に不思議である。無駄なものなど1つもない。
これらの経験を通して、僕はクリエイティブな価値を生み出す人生が向いていると自負している。それは自己理解というよりも、ありがたいことに、他者からの評価を通して感じたことでもある。
大学3年の就活の時期になり、僕も就活を始める訳だが、なかなかやる気にならなかった。言い訳がましいが、僕は周りと同じことをやるのがとても苦手である。大嫌いだ。作り込まれた平凡に、勝てる気がしない。僕はあらゆる軸を取り上げても、周りよりも圧倒的に劣っている自覚がある。就活なんて真面目にやったら、僕は人生そのものの負けを認めることになる。そんなことを潜在的に考えていた。エンタメ業界を目指そうと考えていたが、浅い表面だけ立派な人間が高い倍率で競い合う新卒で入るのは違うなと思ったので除外した(=僕は弱いので逃げた)。とりあえず1社だけES書いてデザイナーインターンを通す訳だが、美大/藝大/国立大学院の人に勝てる訳なく、結局SE職で入職した。これもいい経験になるなと思っているので、ある程度は続けられるように頑張ろうと思っていたが、実際に働いてみると思うことがたくさん出てきた。その件はまた別の機会に整理しようと思う。
同世代の優秀なクリエイターをタイムラインで目にすると、大きく自信を失ったし、正直僕は恐れていた。クリエイターやデザイナーを目指してきた人生だったが、果たして僕は、体験する人に「おもしろさ」を感じてもらえるようなものを生み出しているのか? クオリティが低すぎて、プロなど夢のまた夢なのではないか? 自分が作ったものを評価されること自体、怖くてたまらない。だから僕は、新卒デザイナーを諦めた。またいつか挑戦しよう。そう思っていた。そもそも、僕の人生の目標を達成するために、デザイナーという職業/肩書きが適しているのかどうかを考えなければならない。 ただ、自分自身の人生の使命を改めて考えてみると、どう考えてもクリエイティブの力で社会にインパクトを生み出すことしかない。
別に職種や肩書きに囚われているわけではないが、世間から信頼を得てインパクトを出すには、真っ当な肩書きや力が必要になる。
守りに入った瞬間に視界が固定されてしまう。つまり、見えているものを全てだと認識し、見たいものしか見れなくなってしまう。自分自身からも目線を逸らし、ある種の現状維持依存症だと考える。そのような状態になると、世界を単純化して見てしまう傾向がある気がする。世界はそんなに単純じゃない。1人の人生だけでも、無数のイベントが相互に影響しあっているのに、世界なんて単純なわけないだろ。「起こりうることは起こる」。僕が大好きな言葉だ。曲解すると、イメージできるものは全て起こる可能性があると言える。常識は疑うべきだ。常識を疑うためには、目的が必要になる。何のために生きているのか? 何を成し遂げたいのか? 何をしたいのか? 言ってしまえば、そういったことに向き合うことを恐れている人々が常識に固執しているのだ。実にくだらない。結果だと思っていることは、実は手段でしかなく、何かの工程でしかない。 今いる場所ややっていることは、最終目的地な訳がない。
最近、周りでもAIに奪われない仕事を求める人がいるのだが、そもそも彼らのモチベーションは何なのだろうか? モチベーションを明確にもつことこそが、道具である外部知能に置き換えられることのないものなのではないか?
力というのは、セーフゾーンを抜け出して背伸びをした時に手に入るものだと認識している。 恥などどうでも良く、傷だって上等。ただ強くなって、目指すべき社会を実現したい。
そんなことを考えている社会人4ヶ月目です。
今後の展望
僕は何を目指し、どのような行動をとるべきなのか? 正直わからない。 ただ、信念は固まりつつある。
推しを見て終わるのではなく、推しによって自分の人生が前に進む。 ゲームを遊んで終わるのではなく、自分の現実がゲームのようにおもしろくなる。 音楽を聴いて終わるのではなく、その音楽が自分の人生の行動テーマになる。 アイドルを応援して終わるのではなく、自分も何かに挑戦する側になる。
(雰囲気だが、)そんなコンテンツを生み出すために人生を費やしたい。
具体的な行動はこれから設計していかなければならない。 正直、今いる環境や仕事が合っていないので、できるだけ早く次のステップへと移すつもりである(というか、このままだと虚無感に襲われて病んでしまう)。
僕たちが思っている以上に人生は短く、世界は広い。 心躍らないものに費やしている時間は1秒たりともないはずだ。
最後に記しておきたい。 ぜひとも僕と迎える未来を楽しみにしていて欲しい。
同じく、僕も皆さんと迎える明るい未来に期待している。